上海の歴史と文化が大好きなので、初めて自分のためにこの写真を買いました。
アンティークショップの「老上海」で!
さてこの写真の場所は現在の人民広場とその周辺です。現在の人民広場(ラッフルズ:来福士の前にある大きな公園)はかつては英国租界地で英国人の競馬場だったなんて想像つかないです。
上海でビジネスをするなら必ず知っておきたいのは、租界地として発展した上海の歴史!
そして1人の天才建築家と競馬場・・・。
1850年に海外企業の社長達が上海跑馬総会(Shanghai Horse Race Society)を設立し、現在の南京東路と河南中路の交差点に最初の競馬場を建設したのが上海での競馬場の歴史の原点だそうです。
1853年9月、上海県城内で小刀会の蜂起(満州族による清朝支配を覆し、華人政府を作ろうとする運動)が起こり、多数の住民が英国租界エリアに避難、そのため租界の人口は500人から2万人に拡大。人口急増の結果租界の土地の値段は急騰したため、競馬教会の理事達は競馬場を元の数倍の値段で売却し、西蔵路と湖北路の間に2番目の競馬場を作ったそうです。
1862年李秀成が太平天国の反乱軍を率いて上海を攻めると、更に多くの難民が租界に押し寄せ、その結果租界の中国人人口は50万に拡大、土地の値段は再度急騰し、競馬協会の理事は再び大きなチャンスを手にすることとなり彼らは第二競馬場を売り払い、第三競馬場を現在の人民広場に建設したそうです。
大きな事件や争乱には必ずチャンスもついてくるんですね!
現在も商業施設の家賃は銀座よりも高いですが、当時の上海も同じで、1852年から1862年の10年間の値上がり幅は200倍だったそうです。この競馬場のオーナーたちはどれだけ稼いだのか・・・・。
当時の上海は世界で5番目の人口の都市だったそうです。
左の大きな建物は現在も残っている国際飯店(ホテル)です。この今も斬新なデザインのホテルはヒューデックの設計により、四行儲蓄会(Joint Savings Society Bank)が建設したアールデコの摩天楼は、1933年竣工、24階建て(地上22階、地下2階)、高さ83.3m。褐色のタイル張りの建物は当時最も高いビルで、1980年代上海賓館が建設されるまで、これを越える高層建築は上海にはなかったそうです。デザインをよく見てみると、今でも斬新で現代的で異様な雰囲気を醸し出しています。
ヒューデックは1916年にオーストリア・ハンガリー陸軍に入隊、その後ロシア軍の捕虜となりシベリアの収容所に送られます。1918年にハバロスクからロシア内陸へ移動中の囚人列車が中国国境へ差し掛かった際に、ヒューデックは列車から飛び降り逃亡、満州経由で国際都市・上海へ無一文で辿り着いたそうです。
もともと建築家だった彼は、R.A.Curryっで働き始め、その斬新なデザインに上海の金持ちはみんな彼を指名したそうです。そして1925年に独立し更にその天才的なデザインの建築物を残すことになります。
彼がもし、捕虜にならなかったら・・・もし脱走していなかったら・・・
今の上海は全く違う風景になっていたんでしょうね!
人生で一番最悪な時にチャンスが来るもんだと思う彼の人生の履歴・・・。
人民広場が再び競馬場に戻るといいですね!
以上

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